校長室から

校長から全校生徒の皆さんへ

 こんにちは。
 この4月から秋田中央高校に校長として赴任してきた 尾形徳昭(おがた のりあき)です。皆さんには4月の初めに4、5日お会いしただけで、まだ 顔も名前もほとんど分かりません。皆さんも、おそらく新しい校長がどんな人間なのか、分からないでいることと思います。とても残念なことなので、何かしたいと思っています。少しでも力になれば、と思っているので、よろしくお願いします。差し当たっては、校長が今、何を考えているか知ってもらうために、「心に移りゆくよしなしごと」を綴りますので、時間がある時に、読んでみてください。

  「40年前の自分」
 40年前の自分は、大学の入学試験(2私立大学5学部 計5回受験)に全て不合格で、進路の決まらない状況だった。言い訳ではないが、ショックはさほどなく、1年間ゆっくりできるかな、ぐらいの感じだった。周囲のみんなは予備校探しに奔走していたようだが、私にはそんなことをする気持ちは微塵もなく、とにかくゆっくりしたかった。結局どうしたかというと、フォークシンガーの吉田拓郎に憧れていたわけではないが、宅浪(=自宅浪 人)の道を選んだ。痛快だった。実に気持ちよかった。人にも時間にも束縛されず、24時間自分の好きなように使えることが、殊の外、嬉しかった。
 大学受験を控え、そんなのんきなことを考えている場合ではなかったが、4月は自動車の免許を取りに「車校」に通い、合間に中島みゆきの音楽を聴いた。楽譜を買ってギターにも挑戦したが、それはすぐに挫折した。
 両親には、「来年は必ず大学に入るから、俺の自由にさせてくれ」と言っていた。親は予備校に行かない私のことが心配だったろうが、自分の中には何かしら根拠のない自信があった。
 「教科書をろくに開かなかった自分が大学に入れる訳が無い。1年かかってこれをみんな覚えれば、東大にだって入れる」
 嘘みたいな本当の話である(さすがに東大は難しかったが)。
 5月からは頑張った。私立文系の学部を目指していたので、3科目をそれぞれ1日5時間することをノルマに頑張った。それでも9時間は休める。
 大学で野球もしたかったので、体も毎日動かした。自慢じゃないが、当時は1年365日、毎日バットを振っていた。もちろん当時は革の手袋など無い。
  
 そんなことをしていた40年前と、多少状況は違うが、今は何となく似ているようなので、ちょっと記してみた。大変な時期だけど、「災い転じて福」と為せるよう、みんなの精神的な強さに期待しています。(またいつか)

次のページ 『進路の資料』の巻頭言より

タイトルとURLをコピーしました